西田真二・四国IL香川監督

西田真二・四国IL香川監督
大阪・PL学園の4番&エースで、1978年夏の甲子園で全国制覇。準決勝、決勝とも敗戦寸前の9回に追いつき、逆転、サヨナラで勝つ「逆転のPL」を生んだヒーロー。
しっかりと五角形のホームベースを踏み、決して長くはない両腕を高々と上げた。チームメートが、「奇跡の主役・西田」を迎えると、一塁側ベンチは空っぽになった。
夏の高校野球選手権大会のフィナーレは、いつの時代も感動的だ。だが、40年前の夏、78年の60回記念大会の幕切れは、高校野球史に残るほど劇的で、ドラマチックで、奇跡的だった。
「戦いは終わった。甲子園の夏は終わった。32PL学園、初優勝。青春のドラマは今、終わりました。まさにPL、奇跡の逆転。サイレン鳴って、もう戦いはありません」
ネット裏にある朝日放送のブースで、「甲子園は清原のためにあるのか!」など、数々の名実況で有名なアナウンサー・植草貞夫が叫んだ。甲子園は興奮というより、異様な、騒然とした雰囲気に包まれた。「逆転のPL」が誕生した瞬間だった。
3年間の高校野球生活をかけた最後の夏は、全国各地で行われる予選大会でも、信じられない逆転ドラマが展開されている。しかし、PLは甲子園を舞台に、しかも準決勝、決勝の大一番で2日続けて9回に追いつき、逆転、そしてサヨナラで優勝を決めた。PLはその後も逆転を伝統にし、強い強豪校というより、「筋書きのないドラマ」を演じる人気校となって甲子園を沸かせた。
西田「教団の教えが、粘って粘って粘り抜けだった。予想通りにならないのが野球の面白いところだし、甲子園の大観衆もすごく力を与えてくれた。苦しい状況でも粘り抜く気持ちでやっていたが、あんなことが起こるとは…。逆転のPLって、いい表現ですよね。マスコミの方に感謝しないと。桑田も清原もあの試合を見て、PLに進学してきたそうです。もちろん、ボク自身も人生を変えてくれた逆転優勝でした。」
PL卒業後は法政大に進み、82年ドラフト1位で広島入団。13年間のプロ生活の多くは代打の切り札としての活躍だった。だが、その勝負強さを支えたのも、「逆転のPL」の主役を演じたことによるものだろう。
西田は今、独立リーグの四国アイランド・リーグ「香川オリーブガイナーズ」の監督として、プロを夢見る若い選手と一緒に汗を流す毎日を過ごしている。
 
西田「高校、大学、プロと、ずっと野球をやってきましたが、振り返ると、すごく恵まれた環境でした。でも、今預かっている選手たちは、ホントに厳しい中で野球をやっている。環境は悪くないけど、収入という点では厳しいです。独立リーグという性質上、仕方ないことですが、そんな中から1人でも2人でもプロの世界へ送り出してやりたいと思っています。」
母校のPL硬式野球部は今、休部となっている。昨年の夏を最後に野球部は存在せず、高野連にも加盟していない状態である。西田は「寂しいのひと言に尽きる」としか言わなかった。だが、西田らの時代は教団、学園を挙げて「悲願の日本一」に向けて、PLが一体となっていた。まさに、「隔世の感あり」ということになる。
中学時代、和歌山で有望選手として注目されていた西田とPLは不思議な縁でつながっていく。「逆転のPL」のドラマは、その時から始まっていた。
 
 
78年夏の甲子園
▽準決勝(819日)延長12
中京 000 101 011 000  4
PL 000 000 004 001X 5
【中】武藤、黒木、武藤-阪本【P】西田-木戸 [三]辻、栗岡(中)、西田(P)[二]柳川、戎、渡辺(P
 
▽決勝(820日)
高知商 002 000 000  2
P L 000 000 003X 3
【高】森-坂上【P】西田-木戸 [二]木戸、西田、柳川(P
 
◆西田真二(にしだ・しんじ)196083日生まれ、和歌山市出身。78PL学園のエース4番として春の甲子園ベスト8、夏は同校初の全国制覇を導く。
法大で外野手に転向し、東京6大学ベストナイン5回。82年ドラフト1位で広島入団。主に代打の切り札として活躍。91年は山本浩二監督のもと後半戦で4番も務め、リーグ優勝に貢献。95年引退までの13年間で出場787試合、打率285厘、44本塁打、226打点。引退後は3年間広島でコーチを務め、2007年から香川監督。174センチ、82キロ。左投げ左打ち。