「鎖国とナポレオン」

「鎖国とナポレオン」
 
18世紀後半には、ヨーロッパの産業革命は進展し、ヨーロッパ諸国は、大量生産された商品を売りさばく市場と植民地を求めて争ってアジアへ進出した。
 
日本に最初にやってきたのは距離的にも近いロシアだった。
 
1792年、ラクスマンが漂流民大黒屋光太夫ら3名を伴って通商を求めるために根室に来航。
1804年、全権大使としてレザノフが任命され長崎に来航。
 
しかし、江戸幕府は鎖国を理由にロシアの申し出を拒絶した。
1811年には、ロシア海軍のゴローニンが国後島に無断で上陸し、幕府役人によって捕らえられる事件まで発生した。
ところが、日本に関心を示していたロシアは、やがて、それどころではない事態が起きる。
 
それは、ナポレオンとの戦争だった。
 
ヨーロッパのほぼ全土を征服したナポレオンは、18126月、空前絶後の60万人の兵力でロシアを攻撃開始。
 
ロシアの奥深くまで攻め込んだが、11月になり、ナポレオン軍をロシア内陸部の厳しい寒さが襲いかかった。
 
ナポレオン軍は、寒さのために戦力が機能せず、苦戦し、やがて総崩れとなった。
 
しかし、ロシアも深く傷つき、40万人にのぼる兵士が犠牲となった。これが、日本に関心を示していたロシアがパッタリと日本に来なくなった原因である。
 
 
<ナポレオン・クイズ>
1.総勢60万のナポレオン軍は1812年のロシアとの戦いで
生還したのはおよそどれくらいだったでしょうか?
ド  40万人
レ  30万人
ミ  20万人
ファ 10万人
ソ  5万人
ラ  5000
 
2.ナポレオン軍をおそった寒さとは、摂氏何度ほどだったのでしょうか?
ド  マイナス10
レ  マイナス20
ミ  マイナス35
ファ マイナス80