「緒方洪庵」

「緒方洪庵」
 
福沢諭吉の師匠である緒方洪庵について簡単にまとめた。
 
緒方洪庵は、足守藩(岡山県)の下級藩士の三男として、文化7 7年(1810 )に生まれた。
文政8年(1825)、父親が足守藩大阪蔵屋敷を買い取る命を受け、父について大阪に出る。洪庵は16 歳にしてはじめて大阪の町を見た。
 
蔵屋敷買い取りに成功して、父は足守藩大阪留守居役を命じられ、洪庵は、文武の修行に励んだが生まれつき病弱であったため武士よりも医学の道に進む決心をして、翌年から中天游の塾「思々斎塾」で西洋医学と物理学を学ぶ。
 
1838年、長崎留学から大阪に戻った緒方洪庵は瓦町で医業を開き、同時に、「適塾」という蘭学塾を始める。 洪庵は、開業2年目には、早くも浪速医者番付で東の前頭四枚目になり、ついで最高位の大関になっている。
 
 入門者も多くなり手狭となったため、7年後の弘化2年(1845) には過書町(現在地)に町家を購入して移転した。約20年間、ここを根拠として日本最初の病理学書「病学通論」、コレラの病理・治療・予防法を書いた「虎狼痢治準」、ドイツの著名な医学者フーフェランドが50年間医療に携わった経験をまとめた「扶氏経験遺訓」などを著わした。 
 
ところが、緒方洪庵の名声は江戸の将軍家まで鳴り渡り、緒方洪庵が再々辞退したにもかかわらず熱心な勧誘に折れ、1862年、幕府から奥医師兼西洋医学所頭取として江戸に召し出された。
 
しかし、わずか10ヶ月後の1863年6月10日、江戸の西洋医学所頭取屋敷において多量の喀血により急死した。享年54歳。
 
 
適 塾
偉大な教育者であった緒方洪庵の「適塾」で、大村益次郎、福沢諭吉、佐野常民、橋本左内、大鳥圭介、長与専斎、高松凌雲等を育てた。
 
適塾の姓名録に署名のあるもの636名に及んでいる。