ビキニ

ビキニ
 
 1954年に太平洋ビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験で、「第五福竜丸」以外に周辺海域で操業していた漁船に乗り組み、後にがんを発症した高知県内の元船員や遺族が、船員保険の適用による事実上の労災認定を求め、全国健康保険協会船員保険部に集団申請する方針を固めた。
病気と被ばくの因果関係を主張して補償を求める。10人前後になる見通しで2~3月の申請を目指す。第五福竜丸の元船員以外に船員保険の適用例はなく、認められれば救済の拡大につながる期待がある。
 
  ビキニ水爆実験の被害を巡っては、1955年に米国が日本に200万ドル(当時で約72000万円)の「見舞金」を支払い政治決着した。第五福竜丸の元船員には1200万円が分配されたが、他の船の被害については実態解明すらされていない。
 
 <ビキニ水爆実験>
  米国が195431日~514日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁を中心に実施した6回の核実験。初回に東方約160キロの危険区域外にいた第五福竜丸が放射性降下物(死の灰)を浴びて被ばく、乗組員23人のうち無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡した。日本船は広範囲で被災、漁獲物を廃棄するなどした。厚生労働省は「当該海域に延べ1000隻、(2回以上被災した船もあり)実数550隻程度と言われる」とし、1隻当たり約20人、実数で約1万人が影響を受けたとみられる。