「学制 序文」

「学制 序文」
 
江戸時代
武士  7%
百姓 85%
町人  5%
その他 3%
 
これらのうち、学問を身に着けることができたのは
基本、武士と貴族、僧侶、医者が中心だった。
 
残りの90%あまりは、寺子屋などに頼るしかなかった。
 
明治になって、政府は、日本のレベルを上げるために
富国強兵策の一環として、1872年、学制をしいた。
 
学制は、日本におけるすべての子供に小学校教育を
受けさせる政策だった。
 
今までなかったことを、開始するにあたって
国民に、なぜ教育が必要なのかを訴えた「学制 序文」は
なかなか、よくできていて、現在のような、義務教育を受けることが
当たり前の時代にはない、新鮮な響きがある。
 
私自身が、学制序文を10歳代に知っていれば
学問に対する意識も違ったものになっていたはずだ。
 
 
 
「学制 序文」   
(厳密に言えば)学事奨励に関する仰せ出だされ書
明治5年8月2日
 
 
人々がその身を立て、自分自身の財産を貯え、その仕事を盛んにして、
生涯をまっとうできるかどうかは、
ひとえに身を修め(自分の行いや心を整え正し)、
知識をひろめ、才能や技術を伸ばすことによる。
そのために学制を定める。
 
 
ふだんの行いや言葉遣い、書道や算数をはじめ、役人や農業・商業・工業や技術・芸術、法律や政治、天文、医療などにいたるまで、人が生きるうえで、学問が関係しないものはない。
 
 
人はその才能のあるところに応じて勉め励んで学問に従事し、
そうして初めて自分の生活を整え、資産をつくり、
事業を盛んにすることができるであろう。
 
あの、路頭に迷い、飢餓に陥り、家を破産させ、わが身を滅ぼすような人たちは、
結局は学問をしなかったことによって、このような過ちを起こしたのである。
 
 
今までにも学校は存在したが、そのあり方が正しくなかったこともあって、
人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人に関することと考えて、
農業・工業・商業に従事する人、及び女性や子どもに至っては、
学問を自分たちとは関係のないものとし、
学問がどういうものであるかをわきまえていない。
 
 
このために、文部省は学制を定め、今後、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子ども)は、必ず学校に行き教育を受けなければならないこととした。
 
人の父兄である者は、この趣旨を十分認識し、自分の子弟を慈しみ育てる情を厚くし、
必ず学校に通わせるようにしなければならない。
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