「幕末」

「幕末」
1867年(慶応31014日)、徳川一五代将軍慶喜が征夷大将軍の職を辞し,政権を朝廷に返上することを申し出、翌日、朝廷がそれを許可した。
公武合体派の土佐藩主・山内豊信の建白によるが,討幕の名義を失ったかに見えた討幕派は同日討幕の密勅を得た。
 
1867年(慶応31115日)、坂本龍馬が暗殺された。坂本龍馬は、土佐藩を脱藩して勝海舟の門に入り、海軍操練所設立に尽力し海援隊を組織。薩長同盟締結を仲介して倒幕派を結集、前藩主山内容堂を説き、大政奉還を成功させたが、京都で幕吏に暗殺された。33歳だった。
 
誰が龍馬を暗殺したかはっきりしなかったが、当初は新選組の仕業と見られていた。しかし、幕吏・佐々木只三郎とその部下に暗殺されたという見方が主流となっている。
 
 
1867年(慶応3129日,討幕派が王政復古の大号令を発し,江戸幕府を廃して政権を朝廷に移した政変。
 
18681 3日に起きた鳥羽伏見の戦いに端を発し戊辰戦争が起こった。
 
佐々木只三郎は、戊辰戦争が勃発すると幕府軍の一員として鳥羽・伏見の戦いに参戦するが、樟葉(枚方市付近)で腰に銃弾を受けて重傷を負い、18681 12日、和歌山に敗走中、紀三井寺で死去。享年35。墓所は和歌山県和歌山市の紀三井寺にある。
 
新選組局長・近藤勇は、関東で戦っていたが捕まり、425日に処刑された。33歳だった。
処刑されたのは、この時点で、坂本龍馬を暗殺したのは新選組と思われていたことも要因であった。
 
維新政府軍と旧幕府側との間で16か月余にわたって戦われた戊辰戦争は、4月江戸城を接収、関東各地で旧幕府主戦派を討滅。
対抗する東北の諸藩も会津戦争を頂点に10月には降伏し、翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭が陥落し、内戦は終結、明治国家確立への途が開かれた。
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