「ベルリンの壁」

「ベルリンの壁」
ベルリンの壁は、冷戦のさなかの1961年8月13日、東ドイツ政府によって建設された、東ベルリンと西ベルリンを隔てる壁である。
1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまで、この壁がドイツ分断の象徴となった。
 
 
第二次世界大戦後、敗戦国のドイツが連合国(米・英・仏・ソ連)に分割統治されることになったが、連合国はドイツを東西に分割統治しただけではなくベルリンを分割統治した。
 
 
 
しかし、毎年数万から数十万人の東ドイツ国民がベルリン経由で西ドイツに大量流出した。特に自営農民や技術者の流出は東ドイツ経済に打撃を与えた。
こうして西側から東ドイツを守るため、ベルリンの壁が建設されることになった。
ベルリンの壁の総延長は155kmに達した。
 
ベルリンの壁が破壊されるまでの間、東ベルリンから壁を越えて西ベルリンに行こうとした住民は東ドイツ国境警備隊により逮捕されるか、射殺された。
死亡者は192名。
さまざまな方法で壁の通過に成功、生きて西ベルリンに到達した東ドイツ国民は5000人を超える。
 
東ドイツは逃亡者をなるべく殺害せずに逮捕するようにしていたため、3000人を越える逮捕者に比べると死亡者の数は少ない。
 
また、若い女性であれば、外国人との結婚により容易に国外への移住が可能であった。
 
1989年2月6日に、最後の犠牲者、クリス・グェフロイが、射殺されている。
 
しかし、満65歳になって東ドイツ政府に移民申請をすれば、
無条件で西ドイツに移住できた。
これは65歳が、東ドイツにおける年金支給開始年齢であり、たとえ移住であれ65歳以上の人口が減れば年金を払う必要がないため政府は歳出をそれだけ削れるという実に都合のいい理由が背景にあった。
イメージ 1