「逓信省」

「逓信省」
郵便ポストの「〒」マーク。
いったいなぜ「〒」なのかといえば
明治に設立された当時は「郵政」ではなく「逓信(ていしん)」であり
郵便や通信を管轄する中央官庁である。
第二次世界大戦中の行政機構改革で統合されるまで、
交通・通信・電気を幅広く管轄していた。
 
郵政が民営化された現在、総務省、日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT)は、
逓信省の後身に相当する。
 
「〒」マークは1887年に制定された。
これは逓信省の頭文字「テ」をデザイン化したものだ。
 
1871年4月20日の郵便創業時、郵便事業は宿駅制度をつかさどる駅逓司の所管であり、初代駅逓頭は浜口梧陵(7代目浜口儀兵衛・ヤマサ醤油当主「稲むらの火」のモデル)である。
 
ところが、浜口梧陵は、「逓信事業は民間に任すべし」という持論をもっていた。
「郵便のごときは、これまで飛脚屋が営んできた仕事であるから、将来は民間の経営にゆだねるがよい」と。 
浜口梧陵は代々の大事業家として、紀州の藩政改革の責任者として、
又、莫大な私財を投じて津波防災堤防を建設した者として、
公益の事業は国が行わなくとも、「私」の活動を通じて社会に貢献し、
実現することができると考えていた。
 
しかし、政府は「今、日本は諸外国に比して弱小で切迫した状況下にある。
中央集権の実現と海外圧力に対抗する国家の組織強化は緊急を要する。
逓信事業は国家の神経なり、急ぐことを第一として官営の名の下での
公益達成の追求が必要である」とし国営事業となった。  
 
しかし、21世紀になって、 世界の中の日本の状況、経済の安定性、国家財政の窮迫などの状況のもとで、国の支出を削減しと地方分権を目指し、2003年4月1日に
日本郵政公社となった。
郵政民営化を実現する原動力となった竹中平蔵氏が和歌山市出身であり
初代・浜口梧陵の理念を実現したところに因縁を感じる。
 
画像は、和歌山県庁前にある青いポスト
 
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